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プロフィール
横山剛/テノール カンツォーネ歌手
1995年国立音楽大学声楽科卒業。東京二期会オペラスタジオ研究科マスタークラス終了。2000年パルマ国立音楽院声楽学部オペラ科首席卒業。
声楽を鈴木寛一、ルチアーノ・パヴァロッティ、ジュゼッペ・ディ・ステーファノ、フランコ・コレッリ、ジョヴァンナ・ヴィギー各氏に師事。
国立音楽大学在学中より、二期会オペラスタジオ研究科において研鑽を積み、在学中の1993年にはイタリア声楽コンコルソにおいて入選。その才能は在学中より顕れ、レナート・パルンボ(現ベルリン・ドイツ・オペラ指揮者)の推薦により、1994年リリカイタリアーナの本公演において、ロドルフォおよびパルピニョールのサブキャストとして出演し、オペラ歌手としてのデビューを成功させた。
1995年の大学卒業と同時に二期会オペラスタジオ研究科マスタークラスも終了し、渡欧。研鑽の場をイタリアに求め、1996年にはパルマ国立音楽学校声楽科に入学。2000年に同音楽学校を首席で卒業するまでの間、アントニオ・トニーニ(元ミラノスカラ座音楽総監督)の強力な推薦を得て、パレルモ歌劇場、ナポリ・サンカルロ歌劇場、ポリテアーマ・グレコ劇場をはじめ、イタリア各地でオペラデビュー。
1998年ジェノヴァにおいて演奏会形式ラ・ボエーム(パルピニョール)でリッカルド・シャイー氏と共演。また、イタリア各地での活動を通じ、ピアノの巨匠マウリツィオ・ポリーニとも親交を持ち、彼の伴奏で「Amor ti Vieta」を歌い、巨匠よりその音楽性を絶賛された。その一方で、オペラ歌手としての活動と同時に、ジュゼッペ・ディ・ステーファノが「自分の後を正当に継ぐことが出来る」と認めた歌手として、ナポリ民謡の伝統を彼から教授された事が彼の歌手としての実力を更に高め、各地でコンサート歌手としての実績を積み、「イタリア人よりもナポリ民謡の心が分かる歌手」であるとの絶賛を受ける事となった。オペラ、コンサートのみならず、ナポリ民謡においてもイタリア各地で大絶賛を受けた後、2001年にその活動の場をドイツへと移す。
ドイツにおいてはフォアポマーン歌劇場(2001年から2002年)、リューベック歌劇場(2002年から2004年)を経て、現在はブレーメン歌劇場にテノール歌手として所属。
2010年6月 東京にて行われた第18回太陽カンツォーネコンコルソ、クラシック部門にて横山剛が優勝いたしました。
イタリア・ドイツに於いての出演役柄
ロドルフォ(ラ・ボエーム)
カラフ(トゥーランドット)
ピンカートン(蝶々夫人)
カヴァラドッシ(トスカ)
リッカルド3世(仮面舞踏会)
マクダフ(マクベス)
オロンテ(十字軍のロンバルディア人)
マントヴァ公爵(リゴレット)
アルフレード・ガストン(椿姫)
トゥリッドゥ(カヴァレリア・ルスティカーナ)
ネモリーノ(愛の妙薬)
エドガルド・ノルマンド(ランメルモールのルチア)
ネアルコ(ポリウート)
アルトゥーロ(カプレッティとモンテッキ)
ウェルテル(ウェルテル)
ドン・ホセ(カルメン)
タミーノ・モノスタトス・武士(魔笛)
ペドリッロ(後宮からの逃走)
カミュ(メリーウィドー)
スーチョン(微笑の国)
アルフレード(こうもり)
その他多数のテノール歌手の主要オペラ・オペレッタに出演
コンサート歌手としての実績
1997年クレモナ市民交響楽団とレクイエム(モーツァルト)
テ・デウム(シャルパンティエ)
ミサ・ソレムニス(ロッシーニ)
レクイエム(ヴェルディ)
1998年レクイエム(ドニゼッティ)
ミサ・ブレービス・戴冠ミサ(モーツァルト)
マントヴァ交響楽団とスターバートマーテル(ロッシーニ)で共演。
1999年ジェノヴァ市民交響楽団とハ短調ミサ(シューマン)、戦争レクイエム(ブリテン)で共演
ハ短調ミサ(シューベルト)
2000年レクイエムハ短調(ケルビーニ)
2001年フォアポマーン交響楽団とPsalmfest(ジョンラター)で共演
2003年田中良和指揮(現東京芸術大学講師)と長崎において交響曲第九番(ベートーベン)で共演。2004年アンサンブル金沢(ニコラスクレーマー指揮)と長崎にて戴冠ミサ(モーツァルト)で共演。2006年リューベックオーケストラ(ファイゲル指揮)とドイツミサ(シューベルト)で共演
その他コンサートレパートリーは多数。
このような実績に裏付けられた才能を持ち、ドイツを中心にこれからの国際的な活躍が期待されるテノール歌手である。
横山剛は2009年より日本での活動をメインにする為に帰国。現在は奈良、長崎に於いて家族との日本での生活を楽しんでいる。2010年より本格活動を開始する予定。

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